①育児から見えたこと:子育てが楽しめないとは…?

こんにちは!

口下手のための簡単な英会話教室、講師の大羽奈緒美です。

育児経験から「私自身」が見えてきたこともあり、それを記録していくことにしました。もし、同じ想いを感じていらっしゃる方にとって何か役に立てれば嬉しいです。

2歳前後から感じる「しんどい…」

なんとなく1歳半ごろから「あれ?そういえば家事ができないなぁ…」と感じていたものの、なんとかやり過ごせていました。ところが、娘が2歳になるぐらいから「しんどいなぁ・・・」と感じて、娘といる時間が苦痛でたまらない自分がいました。

もちろん1日ずっと辛いわけではなく、楽しい時間や癒される時間もあるので、あまり「しんどい気持ち」には集中せずに楽しい瞬間を見るようにしていました。
ところが、こういった「自分の感情を無視する」ことがたまっていくと、自分自身が拗ねてしまいます。すると「なんとなく毎日が楽しくなくてだるい」と感じ、原因不明の「なんかわからんけど娘と一緒にいたくない」という気持ちを慢性的に感じるようになるのです。

娘はこだわりが強く、1個でも気に入らないことがあると激しく癇癪をおこします。ご飯のときは、ご飯をひっくり返します。例えば、カボチャの煮物を食べやすい大きさに割ると「こわれちゃった!」と怒るので、大きいものと交換すると「大きい!」と怒って床に投げつけます。

他にも、私も娘とご飯を一緒に食べると、娘は「お母さんのがいい」と言い出すことが始まってしまい、ご飯を全て食べられてしまうか、娘が食べられないものは癇癪をこしてひっくり返されるので、娘がご飯を食べ終わった後、娘に隠れて食べるようにしていました。見つかったら私のご飯の時間はおしまいです。毎日3食、こんな感じだったのでご飯の時間が憂鬱でしたし、全く食べた気がしません。

なんでも自分でやりたがるが、手伝わなさすぎても、手伝い過ぎても、娘の気に入るラインがあり、それ以外は癇癪を起します。一人遊びもできず、お母さんべったりなので、何かにつけて「お母さん、見て」と常に相手にしないといけませんでした。

寝るときは、娘のこだわりの眠り方があって、私に対して垂直に寝て、頭を私の首に置いて寝ます。そのままだと私のアゴが娘のほっぺに刺さるので、私は首を傾けて、娘とほっぺとほっぺを合わせて寝るこのスタイルを、我が家では「首ロック」と呼んでいます。私は常に首が固定されたままで眠るので、慢性睡眠不足になっていました。

起業のプレッシャーも重なって、栄養不足と睡眠不足もあり、ついに毎月1~2回は過労で倒れて立ち上がれないようになっていきました。「とにかく、今はやりすごす時期だ」と思って、人にも言わないようにしていました。というのも、うっかり「今は娘が大変な時期で…」と子育てが終了した世代の方の前でポロッと言ってしまったことがありました。案の定「娘ちゃんのペースに合わせてあげなきゃ」とか「今だけだよ」とか「みんな同じ」などのアドバイスをいただき、申し訳ないけれど余計な善意にイラっとしたからです。

「娘にできる限り合わせているからこうなっていて困っているのに…」と思っていました。

色々な気分転換をしてみるが…

気分転換の時間をとっても、好きなものを買ってみても、その時は気が晴れたような気がしますが「また次の朝から育児の日々が始まる」ことに対しては憂鬱で、全くリフレッシュできませんでした。「自分の時間がとれないからかも」と思って、時短の本を読んで、家電調理器を導入し、使ってなかった食洗器も導入し、家事を楽に全力でしてみることもしましたが解消しません。どうしても楽しくない育児をどうしたら楽しめるか、色々試してみましたがうまくいかないのです。なんというか、心の奥に慢性的な「疲れ」や「嫌悪感」がたまっていて、小手先の行動ではダメだと思いました。

「どうして子どもに合わせるの?もし子供を放っておいて、お母さんの好きなことしたらどうなる?」

これを聞かれたときに「ハッ」と気づきがありました。自分が握りしめていた思い込みがあったのです。私の答えは、以下でした。

「娘が愛情不足で自己肯定感がない子になってしまう
「娘が人とコミュニケーションとれない子になってしまう

だったんです。

「あ・・・・・・・・」

私が「なぜ娘中心で育児をしてきたか」、という育児の行動動機は全て「不安や恐れ」から来ていたんです。しかも、私が自分の人生で苦労してきて恐れていたこと。私は「これをしないと、私みたいに娘が苦労するからやらなきゃいけない」という思い込みを持っていました。(英語教育に関しては、あれだけ「やらなきゃ」ではいけないと伝えているくせに…)

もっと掘り下げると「コミュニケーションがとれない=不幸」だと思っていたんです。さらに追い打ちをかけるように「育児は楽しまなきゃいけない」という思い込みもありました。

「幸せ」と能力なんて関係ない

思い起こせば、私自身も自己肯定感が低くて、情緒不安定でした。人とコミュニケーションも全然取れませんでした。そのせいで人に迷惑をかけまくって、自分の価値なんていつも感じられないことばかりでした。

でも、私は「幸せ」なんです。むしろ、そういった辛い経験も含めて私なんです。改めて、能力と幸せというものは全く関係のないものだと気づきました。

「子育てが楽しめない」という気持ちは、私が過去に置き去りにしてきた「辛い」という感情を見てあげずに、できない自分を責めていたから私が拗ねていたんです。その拗ねた過去の感情が、亡霊のように、今の育児で「恐れ」となっていることに気づいたのです

そして、毎日の育児の中でも、私は自分の「嫌」という感情にフタをするようになっていたので、どんどん慢性的な疲労感が現れてきました。

1度「子供中心ではなく、私中心で1日過ごしてみる。感情はその場で表現する。」実験をしてみました。すると、結局、「私は泣いている娘を放っておくことが苦痛」、「テレビをつけっぱなしにして、テレビの見過ぎで娘がだるそうにぼぉっとしている様子を見ることが苦痛」、「娘がその日にできるようになった成長の変化を見逃すことが苦痛」、だということに気が付きました。

私は我慢していたのではなく、結局その育児方法が1番やりたいことだったのです。そして、私にとって1番優先順位が高いことは仕事だと思っていたのですが、実は育児だったのです。

こういう自分の気持ちに気づくと、結果的に同じ行動であっても「恐れ」ではなく、「自分はどうしたいか」を基準に子育てを決めているという自覚が出ました。すると「やらなきゃ」と自分を責めるのではなく、手放すことを自分に許可できるようになりました。すると、自然と母親としての自己肯定感も感じられるようになったのです。

私の理想の子育ては「子どもも私も自分らしく」だったことを思い出しました。もちろん「大変」や「疲れ」や「イライラ」はまだまだあるけれど、それらは決して悪いことではなく、私の「嫌」をきちんと見つめてげるチャンスなんだと思います。育児で大変だからこそ、いちいち自分の感情なんか見てたらやってられないかもしれませんが、これをやらないと慢性的な疲れなってしまうような気がします。

以上、2歳半の現時点で「育児が楽になったと感じた」記録になります。
今後、どうなるのか楽しみです。

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